「気づき」「学び」「振り返り」 うざっ!
ここ数年、「気づき」「学び」「振り返り」という言葉をよく聞くようになった。特に私こと河内イイネが役職が上がり、多くの研修を受けるようになると必ず最後に「じゃ、今日の気づきをシェアしましょう!」とくる。この瞬間、河内イイネは研修講師または周囲に対して高い防御壁を自動的に作ることになる。
研修参加者は内心どう思っているかわからないけど、みんな「ご立派で」「とてもおりこうな」ことを言う。そして河内イイネの番がくると、以上やはり「優等生」的なことを言ってしまう。口にしながら何か気持ち悪いものを踏んづけた気がする。
河内イイネの本心は「なんで気づいたことをオメーラに言わなきゃなんねーんだよ」「この研修、意味ねーよ」「偽善者だらけだよ、くそ」とかなのだが、気の弱い河内イイネはそんなこと言えない。
また、研修を仕掛ける側になることも多く、事前の打ち合わせのとき、「ここで振り返りの時間を作って、気づきを促しませんか?」とかスタッフが言ったりすると、曖昧な笑顔を作りつつ、「どんだけ上からなんだよ!」「なんでオメーに促されなきゃいけねーんだよ」「振り返りなんか自分一人でやりゃーいいんだよ」とか思いつつも、やはり気の弱い河内イイネはスタッフの案を採用してしまう。
世の中「気づき、学び、振り返り」だらけで、正直、自分だけが置いてけぼりを喰っている気がする。「シュア」「共有」も好きじゃないが、世の中「シェア社会」にまっしぐらだよなー。
でもネットで検索したら、けっこう河内イイネと似たように感じている人もいるようで、以下のブログなんかは河内イイネの気持ちの半分を代弁してくれているような気がする。
<一部、ブログから引用>
本来は、「今まで気付いていなかった自分が馬鹿だった」
という反省を含むのが「気付く」という言葉、あるいは
「今まで学んでこなかった自分が愚かだった」
という無知への恥じらいを含むのが「学ぶ」という言葉なのだが、
それが「学び」「気づき」という内容無問題の造語には、これらを一切感じさせることなく、
「学びや気づきを得た自分は素晴らしい」
と、100%ポジティブな自分賛歌に酔える魔法の言葉、それが「学び」と「気づき」なのだ。
なるほどねー、「100%ポジティブな自分賛歌に酔える魔法の言葉」、表現がうまいよなー。
また、河内イイネの場合は、自分の資質にも原因がありそうで、学生時代けっこう優等生でリーダーで、周囲の期待通りの言動をとってきたのもあり、いろいろな発言はいたってまっとうなことを言ってしまう。だから「気づきのシェア」とか言われてしまうと、心とは裏腹に「いいこと」を言ってしまい、そんな自分に冷めてくんだろうなー。
ほんとは、素っ裸にでもなって、「オメーラみんなアホだよ。俺もアホだよ。クソ、バカ、シネシネ」とか言ったらスカッとするんだろうなー。まあ、社会的信用がダダ下がりになるので、やりませんがね。
でも、不用意に「学び」「気づき」とか使わないようにしよっと。
以上